|
■ここまでで、月と烏(からす)の関連について十分書けてはいませんが、それはまた折に触れて書き募ることとして、少しは先に話を進めましょう。 なにせ、『冬の旅』第15曲「烏」について書いていたのですし。 ■さすらう青年は烏におかしな(wunderlich)やつめ、と呼びかけます。最終曲「辻音楽師」ではライアー弾きの男にも同じようにwunderlichという言葉で呼びかけます。 このことは注目を浴びるようで、いくつかの作品論で確認できます。 素人の私はさらに、第13曲「郵便馬車」で青年が自らの、馬車の音を聞いて意味なく踊る心に、同じようにwunderlich と省みていることにも注目していますが、いかがなものなのでしょうか。 つまりここまでの連想の一端を、簡単に図式化すると、 「月・月影」→「烏」←「わが心(自分)」→「辻音楽師」 と、なるわけです。これは大跨ぎに跨いだ連想の足跡にすぎませんからいささか乱暴ではあるのですが、結論じみて書くと先ずはこうなります。 しかし、その連想が仮に意味あるものだったとしても、問題はだからどうなのか、何がそうすることでどう深まるのか、です。それにやはり「月」についてもっと観照した方がよいような気もいたしますので、それはおいおいに、と考えています。 いずれにせよ、何かの専門家でもない私がそこに足を踏み入れようとしても、資料をあさることなど問題外であり、畢竟、連想の矢を遠く射るしかないのです。 夏目漱石は、図書館へ通っても文学がなにものかわかりはしなかった、と何かのエッセイで書いていたと思います。つまり自分で見つけるしかないと覚悟したと述べていたはずです。 しかしながら漱石の漢詩の素養などはそんじょそこらのお人のレベルではなく、中国の人によれば日本人の書いた漢詩ですばらしいのは漱石だけだと言ったとかいう話も、何かで読んだことがあります。 そんな漱石であればこその真剣な悩みがいかばかりであったかと推察される次第。 小林秀雄でしたか、南方熊楠の論述を読んで、その博覧強記に驚愕し、「彼はいつ考えるんだ」と言ったのは。 確かに、私は熊楠翁のよい読者でも何でもありませんが、手元の例えば『十二支考』の文庫(岩波)で17ページほどの羊に関する小論だけをみてみてみました。つまり、その短く比較的読みやすい小論においてさえ、30あるいは40の書が、引用に関わって触れられています。20いくつかまで数えてやめたので正確な数字ではありませんけれど。 ましてや、彼の引っ張り出す書が、ロイドの『瑞典小農生活(ピーサント・ライフ・イン・スエズン)』、『マセドニア民俗記』、馬琴の『烹雑記(にまぜのき)』、『菩薩本行経』等などを列挙するところとなれば、天を仰ぐほかありません。 私など、熊楠翁の、幻と本物の幽霊の見え方の違いを絵にまで描いて論じている粘菌学者ということで関心をもったレベルですから何をかいわんやです。 しかし素人の気楽さで適当なつまみ食いで連想は働くもので、うまくしたものだと思います。 例えば翁の、その「羊に関する民俗と伝説」のなかの羊の群れを表した文章、 ・・・無数の羊が草を食いながら起伏進退するを遠望すると、糞蛆の群行するにも似れば、それよりも一層よく海上の白波に似居る。 ああ、うまい表現だなあと感心してしまいます。そしてそれは比喩がうまいというだけでなく、海に白波が立てば海の男たちは気を引き締めることをいささか知っているからです。で、連想の矢は小川国夫の短編「速い馬の流れ」に飛びます。 ・・・浩が浜の方を振り返ると、槇の向こうに青黒い海が迫っていて、波頭が流れていた。それは、今までよりも速くなっていて、馬が群がって、斜になだれ込んで来るようだった。遠くにも、歯を出して背筋を噛み合いながら、無数の馬が続いていた。 ■妙ですね。シューベルトの「烏」や、妙な図式について書いてから、何を意図して、私が熊楠翁の文章から小川国夫の文章までをも引き合いに出しているのでしょうか。それを説明せよ、と言われたとしても私にはできませんが。 「言葉」について考え、「象徴」について考えたから、としか言いようがない。そしてそれではほとんど説明にはなっていないのでしょう。 が、あえて引用の文章を借りて言えば、歯を出して背筋を噛み合う「言葉」と「象徴」の所為だとしておきましょうか。 * * * * * * * * * * * * ■それを、シューベルトは音楽で、いえ、正確にいえば、歌曲の作曲でそら恐ろしいほどにやってしまった。これが私の深い感想です。 もちろん詩句はミュラーのものです。だからミュラーに源を辿るべきなのではあろうかとは思いますが、何度も言うようにシューベルトの『冬の旅』を聴いてはじめて私の想像の矢は翼を得て飛んでいくのです。 「烏(カラス)」はただものではないと過日の記事に書きました。しかし本当にただものではないのはシューベルト自身ではないか。再び書きましょう。シューベルトのピアノの右手か左手には天使がいます。そして右手か左手のどこかに悪魔がいます。 『冬の旅』を聴くたびにそう思うのです。 シューベルト! wunderlich な お人! |
| << 前記事(2008/11/28) | トップへ | 後記事(2008/12/01)>> |
| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
|---|
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|---|
私はドイツ語は分からないので、wunderlich という言葉が、日本語の何ということばにあたるのか、正確には理解出来ないのですけど、おかしな、というのは、「いとをかし」の「をかし」という古語だとすると、何となく納得できます。 |
Zerlina 2008/11/30 10:08 |
Zerlina 様へ。 |
辻乃森 2008/11/30 21:43 |
| << 前記事(2008/11/28) | トップへ | 後記事(2008/12/01)>> |