黄葉小説 『~ぼくのダミー (トーキー夢譚 Torquay Impromptus 第5曲)』
「オサム、オサム」
夢の中で女性が呼びかけていた。カトリーネだ、と思っていたら、いつの間にか、別の女性、シグロンに変化してしまい、
「毛糸やボタンを買いにいくから、付きあってちょうだい」と、少年のように短い髪のシグロンが、現実にかけてきたのと同じ言葉で誘っていた。なぜ自分を誘うのかは実際、修にとって七不思議のひとつだったが、夢でも理由はわからないままだな、そう、これは夢なんだ、と考えをめぐらせた。その時、再び、
「修」と声が耳元でした。ここは旅客機の中だった、と、目を開けた。隣の席の良子が修の耳に口を寄せて囁くようにしてお超しているのだった。
「食事の時間やわ」
乗務員が食事の乗ったトレーを配りはじめていた。
「夢、見てたん」と、良子がそう聞いてきた。
「そやかて、ビール、ハーフパイント、プリーズって言うんやもん。よっぽどビールが好きなんやねえ」
確かに毎週金曜日には行きつけのディスコで、その注文をオサムは飽きず繰返していた。だが、夢は思い出せなかった。とりあえず、
「ビールを頼もう」と言うと、良子はワインがいい、と言って修の肩に頭をもたせかけ、
「食事、持ってきはったら、起こして。わたし、ワインの夢を急いで見るし」と、肩に頭をのせてきた。
まだ乗務員が食事を自分達の席に運んでくるのには数分かかりそうだと見て、修も目を閉じた。そして、あ、と自分で叫びたいほど、素早く眠りに落ちていった。
※ ※ ※ ※ ※
修は、シグロンと別れた後、買い物帰りのサレムと町で出会った。これから料理を作るからいっしょに食べないか、と誘われた。歩きながら、豚肉は本当に食べないのか、と尋ねてくる修に、サレムは穏やかに、しかし真顔で、食べるわけがないよ、と答えた。
「よく焼けばいいじゃないか」と修がしつこく聞くと、
「豚は穢れている。焼いても同じだ」
「じゃあ、嫌というほど、煮ればいいのに。でも君は日本の沖縄では暮らせないな」
サレムは意味がわからない、というように、口を曲げた。修は喧嘩を売っていると誤解されても困るな、と感じて、議論をふっかけるのはやめた。サレムを好ましく感じていたのだ。小学校時代の友人にどこか似ていたからということもあった。その友人もサレムに似て長身で、どこかエキゾチックな顔で、髪も真っ黒ではなかった。そして温厚で優しいところもそっくりだった。しかし、修を自転車の後ろに乗せて心底楽しそうにあちこちと走り回ってくれた彼も、どこかへ引っ越していった。静かな茶色い目が孤独を漂わせているところまでよく似かよっていた。※
サレムのアパートは思いの外、部屋に光が満ちて、冬の終わりが近いことを教えているようだった。クリーム色の壁に絨毯が赤く映えていた。
「楽にしていてくれ」
サレムはさっさとキッチンに立って、調理にかかりだした。修は絨毯に腰を下ろして、サレムのアラブ人独特の巻き舌の英語を味わいながら、彼の話を聞いていた。
「僕もいつか日本に行ってみたいんだ」
サレムが修のところへやってきた。そして、
「これは本当なのか、教えてくれ」と、薄い本のページを開いて渡してきた。日本の観光案内のパンフレットだった。サレムが指を差して尋ねた箇所は、日本の差別問題についてのごく簡単な説明文だった。修がなけなしの知識と英語で補足すると、
「信じられない」と、サレムは首を振って、ため息をついて、驚いて見せた。修も簡易なパンフレットにそんなことまで紹介してあることに驚いていた。
再びキッチンに立っていったサレムが、
「オサム、お祈りの時間なんだ。少し時間をくれ」と言って、修のそばへまた戻ってくると、跪いて腰を折り、壁に向かって祈りはじめた。修は、神のもとで平等だと考える彼らにとって日本の差別問題が理解不能なのだろうか、と思った。
祈りを終えたサレムが出してきた料理は海老とパスタをトマトソースで煮込んだものだった。
「おいしい」と修が平らげて微笑むと、
「もっとどうだい」
下宿している家での夕御飯のこともあり、お代わりは丁重に辞退して、修は部屋を出た。
「また、来てくれ。それにしても、なぜ日本は原爆を落としたアメリカに仕返しをしないんだ」
「ソルタンもそう言っていた」
目には目を、という言葉が心に刻まれているんだ、でも日本にとって原爆は君たちにとっての豚みたいなものなのかもしれない、と修は思った。だがあえて口にはしなかった。
滞在中、世話になっている家に戻って、居間に顔を出すと、いつもなら午後六時前には帰宅している父親が三歳の息子のジムを膝に抱いて絵本を読み聞かせているのだったが、その時はちがっていた。母親のモードリンが、顔を赤らめて泣きじゃくるジムの鼻先で人差し指をふりながら、彼女も顔を赤くして何ごとかを叱りつけていた。帰ってきた修をちらりと見ると、
「オサム。悪いけど、ここにいてちょうだい」と言い、ジムへの説教に戻った。ソファーで耳をすませていると、どうやらジムは下の修の部屋に勝手に入り込んだことを叱られているらしいことがわかった。
「あれは誰の部屋なの。ジム、言ってごらんなさい」
「オサムの部屋……」
「そう。あなたの部屋ではありません」
「はい」
「では、なぜオサムに断わりもなく、彼の部屋に入ったの」
「ぼくのダミーが……」
ジムお気に入りの乳首(ダミー)を探して修の部屋に入ったようだった。つまり修が留守の間に彼の部屋に入り込んでいることが奇しくも明らかになった。
「オサムに謝りなさい。そして二度とこんなことはしないと約束しなさい」
「はい」
「じゃあ、訊くわね。なぜあなたはオサムに謝るの」
「ぼくがオサムの部屋に勝手に入ったから」
「よろしい。さあ、オサムに今すぐ謝ってきなさい」
まだオムツもはずしていないジムが、よたよたと修のところへ泣きながらやってきた。モードリンが修に目配せを送ってよこしていた。ジムが、
「ごめんなさい、オサム。ごめんなさい。二度とオサムの部屋に勝手に入りません」と泣きじゃくりながら言った。
たまに修が休日でひとり部屋で本などを読んでいると、ドアをノックして入ってくるジムと遊ぶことがあった。三歳になってもダミーを咥えて離さないのが可愛くて、こそばしたりして遊んだ。ダミーを咥えたまま、母親に、大嫌いだ、と叫ぶ技術を身につけているジムが、この日ばかりは母親からきつくお叱りを受けたわけだった。
修がくしゃくしゃにしている顔を見つめて、謝罪を受けいれた旨を大げさに伝えると、ジムは母親の所へと走って戻っていった。
モードリンが何か言ってからジムを抱きしめるのを見てから、部屋へと下りていった。
しばらくしてから居間に戻ってみると、ジムがお父さんの大きな膝に抱かれて、絵本を読んでもらっていた。
そして翌朝には、テレビの人形劇の主題歌のレコードをかけるという日課を忘れずこなしているのが、学校へでかける修の耳に聞こえていた。
サレムとは授業でいっしょになることはなかった。それにどこで昼食をとっているのか、学校の食堂でもみかけることはほとんどなかった。一人で行動することが多いのだろう、料理をごちそうになった日から彼の姿を見ていないことに気付いた修は、同じ国から来ているソルタンに食堂で聞いてみた。
「サレムなら、国へ戻ったぜ。仕事が待ってるんだろうな。俺も知らなかったさ」
「そうか。別れの挨拶もできなかったな」
「ねえ、オサム。今夜もドゥードゥルズへ行くだろう」
そう言って、ソルタンは腰をひねらせて踊る恰好をしてみせた。
「うん。夕食はいらないと奥さんにもう言ってあるし」
ソルタンは、オサムの名前をもじったような歌詞の曲を歌いながら陽気に食堂を出ていった。
サレムとはもう一度会いたかった、と思いながら、食堂で買ったデザートのりんごを齧った。
※ ※ ※ ※ ※
結局眠りはしなかったらしく、良子がワインとビールを注文している声が聞こえて、修は目を覚ました。眠ってしまった修が苦笑いをしていると、良子が言った。
「ねえ、サレムって、誰なん」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
※黄葉(もみぢば)小説とは、小さな赤ん坊の手を形容する言葉からの連想で、ごくごく小さな小説として名づけたものです。
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