『糸車心顕の段』 (黄葉小説・オルフィック・シューベルト)
拍子木が打ち鳴らされ、太鼓の音も重なり、舞台の幕がさあっと開かれる。
本来なら明るい舞台がそこに現れるはずが、違っていた。真っ暗だった。百人くらいの観客は固唾をのんで何も見えない舞台を見つめていた。
ぽっ。
一つの灯りが舞台奥に灯った。そしてゆっくりと八つの灯が燈った。蝋燭の灯りだ。
闇から浮かび上がってきたのは、文楽人形の娘。
糸を紡ぐ糸車が娘の首から下を微妙に隠している。
あれは誰だ?近松門左衛門の「鑓の権三重帷子」、〈浜の宮馬場の段〉で、乳母とともに現れるお雪か、「仮名手本忠臣蔵」の小浪か?
いずれにせよ、
さらに別の場所に明かりが灯された。
二人の男が居住まいを正しつつ、じっと座っていた。いわゆる床と呼ばれるあたりだ。向かって右に座している男は楽器を抱えていた。三味線ではなかった。
楽器を持たない男が見台の床本らしきものを捧げ持ちあげ、祈りを捧げるように頭を垂れてから、見台に戻した。
舞台に目を移せば、娘は微かに震えながら闇にじっと浮かんでいた。ふと、「鑓の権三」のお雪の台詞の浄瑠璃が頭によみがえった。
……久しうござんす。権三さま。ご無事でおめでとうござります。
その時のお雪のけなげな仕草も。
……さほどわたしがいやならば、なぜあの馬で踏み殺させてくださんせぬ。
と同時に浄瑠璃の語りが聞こえてきて、再び床の方に目を移した。
――まわるは、心に寄り添う離れ行く糸車にござりまする。
娘が糸車を回しだした。そして弦の音が静かに奏でられ、こちらの視線は舞台と床をせわしなく往復するその間もなく、誰もが聞き知っている、あの糸を紡ぐ娘の謳う歌曲が聞こえてきた。
若々しい女性の歌声!
見れば、確かに男の声で語ったその男が、胸を反らすようにして歌っている。
人形は忙しく糸車を回している。歌の調子が変わると、その手が止まりかけたり、そしてまた回しだしたり。
歌声はドイツ語だったのだが、なぜか違和感はなかった。
床に座した状態で歌うというのは相当につらいのではないのだろうかと思うが、すうっと歌が止んだ。
普通、文楽でそのようにはしないはずだが、舞台の袖から黒子がでてきて、声をあげた。
――東~西とざい、今ご覧、そしてお聴きいただきましたのは、御存知、〈糸車心顕の段>にござりました~。。演じましたのは、カウンターテナー、*****。リュート、*****にござりましたあ。
観客は誰もが黒子の口上に注目していたにちがいない。
しかし、見る者は見ただろう。
人形がひとりの人形使いもなく、糸車を腕にかかえて舞台から立ち去っていくのを。
参照; http://franzpeter.cocolog-nifty.com/taubenpost/2016/01/1987-08d5.html


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