辻乃森音楽師  〜シューベルト断想&創作〜  

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zoom RSS 毛をつかむ話

<<   作成日時 : 2016/03/22 20:27   >>

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 図書館から多和田葉子さんの『雲をつかむ話』を借りてきた。この人の文章というか日本語はどこか独特で、しかも漢字やひらがなの表記にこまやかな気遣い(読者諸氏、それがわかるか?と陰でこちらを見つめているような気配もあり)が感じられ、読んでいて、おいしいご飯を食べている感じがする。少し硬めのおかずで噛み噛み、といったところ。
 
 で、『雲をつかむ話』の本を炬燵に入って嬉しく開いた。ゆっくり読みはじめた。何ページかをめくったあたりから数ページごと、読みながら気になって仕方がない状態が続くこととなった。多和田さんの言葉がではない。
 先ずは、八ページの終わりから二行目の「わたしが玄関の棚に」の「わたし」の「わ」の右肩にまつ毛らしいものがくっついていたのが最初だった。
 もちろんそのまつ毛をふっと息を吹きかけて飛ばそうとした。が、それはぴくりとも動かず文字に引っかかっていくら吹いても、小指の爪で蹴りだそうとしても微動だにもしない。目を近づけて、それがまつ毛ではなくて鉛筆によるものとわかった。苦笑し、少し腹を立てて、読み進むことにしたら、気になって仕方がない状態の時間継続となったのだ。
 図書館から借りた本なら書き込みはルール違反なのだけれど、十数冊に一冊くらいの割で、そんな本に出会ってしまう。そして書き込みの傍線や☆印はどれもが多少なりとも自己主張をしてくる。
 どうだい、俺は(わたしは、かもしれない)は著者の強調したいところ、読み取ってほしいところをわかっているんだぞ(いるのよ、かもしれない)。
 僕は、ここが重要だと思うのですがどうでしょう。自信はないのですが、実はそうでもないかもしれない。
 などといった感じで。
 ところが、私が借りた『雲をつかむ話』の本への書き込みはそうではなかった。書き込まれたすべては、まつ毛や眉毛か鼻毛のように、ふわっとした筆致で、どうしても指先で何度も懲りずに払ってしまったりする。細いそれらの一本一本は、ひょっとしたら読んでいた女性が芯を尖らせた鉛筆を手に本を読むのは癖でやめられず、気付かぬ間に指に挟んだ鉛筆が紙面をこすってしまっているのか、と思わせたりもする。ある語句をまたいで音符記号のスラーのような箇所もあって、何かあるのかと思っても、何もない。自己主張皆無なのだ。
 私は本を読むのを中断して、一ページ一ページをできるだけ速やかにめくり、主張のない鉛筆の毛を見つけることに集中することにした。
 行間をまたいでふわりと残されたものを、私は「うなじの毛」と名付けた。
 意外にも紙面の角の空白にしっかりした一本線が走っているページもあった。名付けて「怒りの一本線」。
 悲しそうに左上から右下へと震えるか細い線は、「悲哀の傷」。
 しかしほとんどはまつ毛のような短い円弧。
 その作業に集中している間、気付いたことがある。何もないページを見るのはさみしいと。
 
……ここに確かにこの本を読んだ僕がいることを誰かに知っておいて欲しいのです。だからところどころのページのどこかに無意味な場所に無意味な形で鉛筆を少しだけ滑らせたのです。僕は視覚に障がいがあって、親切な叔母にこの本を読んで聞かせてもらっています。僕が膝の上に置いた本を、叔母が僕の左側から覗きこむようにして読んで聞かせてくれるのです。叔母はメゾゾプラノの声で読み上げます。叔母の息が体に染みます。
 どうしてかは自分でもわかりませんが、僕は鉛筆を読み聞かされる間、握っています。それを叔母の声に合わせて振るのです。時折、紙面を鉛筆の先がかすめるのがわかります。叔母が耳元近くで囁く声が聞こえました。
 ……ま、いいか。
 たぶん、鉛筆の先が紙の上をこすったときは、そのページのどこかに感じるものがあったのかもしれません。そして、もっと感じたページで鉛筆が紙面をこすったとは限りません。
 でも、僕はここにいて、ここで叔母の声を頼りに、この本を読んでいます。返却を遅らせてすみません。
 
 私はいつもなら、借り出した本の書き込みが鉛筆ならば、消しゴムでごしごしと消してから返却する。しかし、今回は何もしなかった。青年と、その叔母の幻影がいくらページをめくっても消えようとしないので。
 妻が私のそばに立って言った。
 あんた、頭ァ掻きながら読んでて、貴重な髪の毛が本に落ちてますけど、いいの?
 

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
aostaさん、こちらこそご無沙汰しており、申し訳ありません。
最近、ブログをアップすることから離れてしまっており、aostaさんからコメント下さり、とんとんと背中を叩いてくださった感じでした。誤字も見つかりましたし。
ちょうど今、小川洋子さんの『琥珀のまたたき』を図書館から借りて読んでいます。ゆっくり読むので、返却期限に間に合わせるのが大変です。ところで、その本には今のところ書き込みは見つかっていません!
また適当に気が向かれたら、背中をとんとんと叩いてください。
Zu-Simolin
2016/07/04 18:47
aostaさん。ごめんなさい。間違ってaostaさんのコメントを掲載ストップをクリックしてしまっていたようです。まことにすみません。
Zu-Simolin
2016/07/04 18:49
Zu-Simolinさん
おはようございます。丁寧なお返事をいただきありがとうございました。
あまり久しぶりにコメントを差し上げましたので、驚かれてのミスでしょうか(^-^)。
かくいう私も、せっかく書いたコメントが消えてしまい(つまり、間違って消してしまい)今書いていますのは二度目です。書いたものが消えてしまった時のショック!すぐに書き直しても同じものは再現できませんもの。

さて「琥珀のまたたき」私の書棚にもあるのですが、実はまだ読んでおりません。小川洋子さんの著書はひとことひとことをゆっくり味わう時間を大切にしたいので、雑事の合間に読んだのではもったいない。時間というより、気持ちに余裕ができたときのお楽しみにとってあります。

恥ずかしながら多和田葉子さんについては、長いこと多田智満子さんと混同しておりました。Zu-Simolinさんの素敵な文章を拝見し、ぜひとも読んでみたくなりました。
aosta
2016/07/06 06:31
aostaさん。ご丁重なるお言葉、感謝します。
ところで、「琥珀のまたたき」は図書館への返却を一旦してまた借りなおすことになりそうです。まだ半分も読み進んでませんから。
aostaさんのブログ訪問再開します!
Zu-Simolin
2016/07/06 19:25

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